Last update:2020.03.05
先月(2/18)友人の墓参りに行った時、「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」というポスターに目が留まり、写真に収めた。
目の前のことできていますか?
という言葉にも惹かれたし、いつかの礼拝メッセージのタイトル…と頭の隅で認識していた。
1992年に浸礼を受けた後まもなくから、20年以上教会に通っていない時の中で、いろんな宗教があっても実は神さまは一緒なんじゃないか?と思うようになり、あまりキリスト教に固執していないので、こういう宗教の枠を超えたタイトルには共感する。
根っこと花の話し方、とあるのは、おそらく
(ローマの信徒への手紙 12:4-5)わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、 わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。
という箇所を指している。
自分はよく、大好きなジグソーパズルのピースに例えて、完成させるためにひとつとして同じピースはない!と思うのに似ている。好きな聖書箇所。
Message Memo
ひびこれれいはい。にちにち。
禅の言葉。
例えそれが過酷であっても素晴らしい。
禅とキリスト教
自分のフィールドを一つの礼拝と考えてみよう!
日々が過酷過ぎて礼拝に来れない。
毎日が礼拝!
(12:1-)
イスラエルの救い。福音。
本質。日々の生き方。机上の空論ではない。
根っこと花の話し方(パウロ)
神さまとどこで出会った?
先週の列王記では、沈黙の中に神。
新約では、人との関わりで神を感じる。
表裏はない!
善とは何か?解き放つ。解放。
悪とは?抑圧(サプレッション)
命令ではなくススメ。
身分の低い人、虐げられた仲間。
(12:18)できればせめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
申命記からの引用。神に怒りを任せる。
(マタイ 25)
1日1日を惜しみつつ丁寧に過ごせますように。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- 出エジプト記 22:20-26
- ローマの信徒への手紙 12:9-21