Last update:2017.02.27
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
陣内牧師による翻訳は、イエスがまるで友達のように身近に感じる。そう、きっとそうだったはずなのだ。聖書の硬い文体が、伝説を神話化してしまっているけれど。
"世界にたったひとつしかないそれぞれのミッション"というのは、常日頃感じている。自分がそこにいる理由、いない理由。
帰り際、昨日の遅刻をお詫びすると、
「どうしたのかな~事故にでもあったのかな~とか思ってたんですよ」
と伺い、コンサート中に余計な心配をかけてしまった!と恐縮。平謝り。
もう一人一緒にお話をしていた方からの一件で、先輩ミュージシャンの名前を教えられるが、わからず。名前を知っていても曲はあまり知らなかったり。だからこそ、陣ちゃんセンセの歌に出会えて良かった!と心から思う。そしてブランクも経てまた出会い、こうやってメッセージを聞けることに、改めて感謝†
入口ドアのステンドグラス、(2匹の)魚と、もう一つは(5つの)パンなのだそう。いつも目にしてはいたが、初めて本当の意味を知る。見えているのに見えていない、とはこのこと!
Message Memo
赤坂教会130周年でコンサート。戦災にあって焼失するもずっと同じ地。勝海舟の庭先からスタート。裏手には昔所属の事務所。
東美教会は4/1で107周年。小石川→新宿→吉祥寺(現在)と移転。
私たちが求められているもの=日々の生き方
教会生活は日常の中にある。自分のフィールドに対して証。
信じない者、疑っている者、迷っている者にイエスは現れる。使命を与え信頼に変える。世界にたったひとつしかないそれぞれのミッションが与えられている。
目を覚ましていなさい=感じなさい
「やすらかに信頼している」こと→揺らぐ時、背き
この状況で誰が恐れずにいられよう。疑うことの全くない信仰があるだろうか?
なぜ疑ったのか=拒絶や否定ではない「自分で言っておいたくせに、なんだよ~」あきれられるイメージ。すぐに手を伸ばした。
ヘブル語で信じる=アーマン(アーメン)
信仰があったとしても、人生はあまりにも手に負えない。完璧ではないからこそ引き寄せられる。複雑な浮き沈み。
言葉にならない祈り。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- イザヤ書 30:8-17
- マタイによる福音書 14:22-36