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『群衆を見て』


Last update:2017.02.16

 

失敗や苦しみ悲しみ、良くないことがあると、その時点では落ち込むけれど、そこを乗り越えた未来に希望があることは、これまで何度も体験してきた。だから、何か嫌なことがあっても、これは将来どんな意味を持った出来事になるのかな?などと考えることで、苦難を乗り越える力に変える習慣がある。いつもうまくいくわけではないけれど、苦しい時の神頼み、とはよく言ったもので、そういう時はとにかく祈る。

今まで感じてきたことは間違ってはいなかった!と思うと同時に、一緒にいてくださっているのだなぁと感謝†

Message Memo

愛知教会におけるチャリティーコンサートで、ある親子(母と障がいを持つ息子)との出会いからの気づき。

 

山上の説教 → 幸せの逆説

幸い=大丈夫だ。このまま行きなさい。一緒にいるよ!(インマヌエル)背中を押してくれる。

山=神と対話する場所

 心の(貧しい人々)・・・心底

 義に(飢え渇く人々)・・・施し

  ↓

ルカによる福音書にはなかったものを補った

 

イエスは群衆を見て言った。

キリストの8福 → 3~6(前半4つ)は相手の置かれている状況。7~10(後半4つ)は主体的態度。

  • 悲しむ=お悔み(愛するものを失った悲しみ)
  • 柔和=抑圧された(痛みをわかっている分痛みに敏感)
  • 心の清い=真っ直ぐな人
  • 平和=作り出す・平和のために働く。シャローム(主の平和)

全ての面で満たされる。

不幸なのに大丈夫? → 仲間がいれば!同じ痛み。耳を傾けてくれたり。時間の経過で良い風が吹く。

主の御言葉を求め集い、共に歩んでくれるイエスを信じたい。


東美教会 陣内大蔵 牧師

  • イザヤ書 30:18-21
  • マタイによる福音書 5:1-12