· 

『今はとめないで』


Last update:2017.02.07

 

1992年、川崎バプテスト教会で浸礼を受けた私だが、長いこと教会生活からは離れていた。初めて教会へ行こうと思った時「聖書について知りたい」という思いがあった。そのきっかけは湾岸戦争だったりいろいろあったが、当時からファンだったミュージシャン陣内大蔵の楽曲からの影響もあった。歌詞に共感し、その考え方が通用しない世の中への憤り。

 

聖書を学ぶ上で「浸礼(バプテスマ)を受けることで神の言葉がわかるようになる。生まれ変われる。」と聞き、ちょうど誕生日が日曜だったので、生まれ変わるならこの日に!と、信じるかどうかは後回しに浸礼を受けることにしたのだった。

その後、教会にどうも馴染めず足が遠のいてしまったけれど、事あるごとに神はいると信じていた。

 

陣内大蔵が牧師になられたと知り、「歌って踊れる牧師になりたい」とステージで言っていた昔、いつかそのお説教を聞いてみたい!と思っていたことが、今現実となっている。

東美教会に転会を申し出た当時、宗派の違いを知らないため、少し不安になって牧師に尋ねたことがある。

「いいんです」

多くは語られなかったが、この一言にどれだけ安堵したことか。そのひとつの答えが、この日のメッセージに込められていたと思う。

感謝†

Message Memo

関西学院大学神学部の恩師、神田健次先生退官のため、最終講義を聞きに。在学中、音楽の道へ進むことにした時

「やれるだけやってみたら」

と背中を押してくれた人。また15年前に再会した時には、学び直すきっかけをもらった。

 

エキュメニカル運動=教派を越えて一致しようという動き

第二バチカン会議~新共同訳という流れ。共生・共存。

教理・教義→only me(分裂)

他人への奉仕→only you

イエスが"我々"と言うとき、"主"を表す。

バプティゾという言葉には浸るという意味がある。洗礼はユダヤ教以前からあった。きれいな水で清めた。

ヨルダン川でヨハネの洗礼。

メタノイアは悔い改めの意味だが、生き方の方向転換。神に向かって立ち返る。"救い主メシアとしての出発点"

◆マタイによる福音書 12:18-21

18「見よ、わたしの選んだ僕。

わたしの心に適った愛する者。

この僕にわたしの霊を授ける。

彼は異邦人に正義を知らせる。

19彼は争わず、叫ばず、

その声を聞く者は大通りにはいない。

20正義を勝利に導くまで、

彼は傷ついた葦を折らず、

くすぶる灯心を消さない。

21異邦人は彼の名に望みをかける。」

イザヤの預言が実現するため。

 

神―信仰―自分

洗礼は始まり。覚悟。試行錯誤や失敗は問題ではない。

神の心にかなう歩みをしよう。

◆マタイによる福音書 5:9

平和をつくり出す人たちは、幸いである


東美教会 陣内大蔵 牧師

  • サムエル記上 16:1-13a
  • マタイによる福音書 3:13-17